日別アーカイブ: 2009-08-12

【Ms.H】『アカウントプランニングが広告を変える』からの気づき

さっそくですが、すでに林さんから寄稿をいただいていますので、ご紹介を。

第1回目の記念すべきテーマは、『アカウントプランニングが広告を変える』を読まれての気づきです。この本については、このblogでも過去に紹介しています(→こちらです)ので、こちらもどうぞ。

アカウント・プランニングが広告を変える―消費者をめぐる嘘と真実 アカウント・プランニングが広告を変える―消費者をめぐる嘘と真実
価格:¥ 2,520(税込)
発売日:2000-06

では、林さんの寄稿を。

*****************************************************************************************************

◆市場調査の「テスト」としての使い方◆

ジョン・スティールは、アカウントプランナーでありながら驚くほど市場調査に精通していて、自分の仕事に極めて有効に活用しているが、今のリサーチャーの姿勢に対する痛烈な批判もこの本から読み取れる。

その中で印象的なのは、「テスト」=試験→成績表→合否判定に力を注いでいる、クライアントや市場調査機関への彼の疑問であり、周辺にいるクリエイター達の多くは、この「テスト」という考え方に眉をひそめているということである。
以前、私が某広告代理店で、各種の賞をとっているクリエィターの方とお話した時にも、彼はつぎのように語った。「(自分は、暗い部屋に入れられて退屈な時間を過ごしたくないと思っているのに)グループインタビューの観察に行かされ、生活者が生活感のない座談会室で、自分達が精魂こめて作ったアイディアを評論されるのを観察しても何の役にも立たない。自分達は、生の生活者から気付きにつながる刺激を受けたいのに。」

市場調査における「テスト」は、それぞれのステップで生活者からどのような評価が得られるか、市場で受け入れられる可能性があるのか、問題点は何かを明らかにするために実施される。この結果、市場に出た時のリスクが回避されるという利点がある。
私が知る限り日本でも、そして定量調査だけでなく、定性調査でも「テスト」が多く行われており、各ステップで合格判定が出たものが、市場にお目見えするという構造になっている。
「テスト」というチェックシステムを構築し実践したことで、マーケティング効率は上がっているのではないかと推測できる。

◆「テスト」で未来の大輪の花の芽が剪定されてしまったら・・・・◆

「テスト」の目的は、送り手が自分達の志向や勘だけに頼って、生活者の志向と一致しない商品や広告を市場に送り出すことによる労力やお金の損失を出さないためである。さらには、データを通じ、組織の上の人や、その商品に絡む全ての人達に納得してもらうためでもある。ジョン・スティールもこの「テスト」の必要性を否定していない。(私も、同感)

問題はこの、試験→成績→合否を決める「テスト」調査への偏重により、今後、大輪の花を咲かせる才能を持った確かな蕾が切り取られてしまっているのではないかということにあり、商品構成要素のどれもが平均値以上なのに売れない商品が市場に出る、いいんだけど何か魅力がなくて、記憶に残らないコマーシャルが溢れているという現状の市場と大いに関係があると、私は考える。

◆市場調査は「テスト」のためだけにあるのではない◆

ジョン・スティールが市場調査とそのデータをどう活用しているかということを、本の中から拾って簡単に整理すると以下のようになる。

    1. 生活者の今を入念に調べて、市場を把握して発想のヒントとする(気付くための刺激とする)
    2. クリエィティブへのブリーフの説明材料とする(今、生活者は/今、このカテゴリは、このブランドは)
      →ブリーフィングの際も常に背景データが議論の中心となる
    3. クライアントへの説得材料とする
    4. アイディアが生活者に意図どおりに受け入れられるのか and/or さらに新しい視点がないのかを探す
    5. クリエィティブラフ案の生活者の反応を把握して、コミュニケーションを完成させるための参考にする

一見、今も実施している市場調査に当てはまるように感じる。しかし、その優先される期待感が、優劣を決める「テスト」というチェック機能(評価を得て、成績表を作って、合否を決める)にあるのではない、ということに大きな意味がある。

◆生活者情報から、何を探すのか→何に気付くのか◆

本書の中にポラロイドカメラのユーザーにはフィルムを、ノンユーザーにはフィルムとカメラを送って、対象者が自由に撮った写真を送り返してもらい、その画像を観察した例がある。送られてきた画像の約9割は普通のカメラでも撮れるもので、残りの1割にポラロイドならではの価値が発見できる画像があり、極めて有効な調査であった、と書いている。

私が思ったのは、恐らく生真面目なリサーチャーがこの調査の報告書を作成することになったら、どうするかということである。
きっと、まず対象者を性別、年齢、その他の属性に分けて、人物〇枚、動物〇枚、風景〇枚、その他〇枚と数えることからはじめるだろう。ピントがずれた写真が人物なのか風景なのかを判断することに時間がかかったり、数が合わなくて数え直したりしている間に時は過ぎ、報告書の納付期限が迫り、時間切れを迎える。
1割に意味があるということに到達しないまま終わってしまう。市場を数で判断することを絶対と思っているクライアントに対して普通のカメラでも撮れる9割の画像を結果から外したら、いい加減な調査だとお叱りを受けることも覚悟しなければならない。

1割の画像の意味をポラロイドの特性と繋ぎ合わせて見抜く、Next Stepの方向を探す、アイデアを出す、クリエイティブをサポートするのがプランナーの役割であり、ここで問われるのはアカウントプランナーの能力=人間力以外の何者でもない。

◆リサーチャーが、クライアントの強力なマーケティングサポータ-になるためには◆

ジョン・スティールは、広いアメリカのあちこちに自ら足を運んで、生活者にインタビューをする、CLTの会場に行って観察する、そして、よく考えて、営業、クリエイティブスタッフ、クライアントともよく会話をする。そういえば、私が、よく仕事をいただくプランナー(アカウントプランター、ストラテジックプランナー、いろんな呼び方があるが、違いは分からない)やマーケッターも、現場を重視し、よく動き、よく考えて、ひるむことなく議論をする。

私は、リサーチ側のインタビュアーであるが、有能で活発なプランナーやマーケッター達が生活者の現実をしっかり見ることができ、創造力を発揮できるような市場調査の企画、実施、分析をしようと努力している。
そして、これから育つ定性調査のインタビュアーには、マーケティングに関する知識を身につけ、本当の意味でのクライアントのパートナーになることを強く望んでいる。

*****************************************************************************************************

いかがでしたか?
個人的には、まったく同意です。とくに、最近のマーケティング・リサーチが、ここでいう「テスト」に偏っているのではないか?、という見方に同じ問題意識をもっています。
インターネットリサーチの登場により、リサーチが手軽に行なわれるようになったことはよかったのですが、一方で、この傾向に拍車をかけたのではないかとも思っています。

実は、この問題意識は大学院での論文テーマとかなり似たもので、ちょっとびっくり。
さらに、『マーケティング・ジャーナル』の最新号(113号)でも、近い趣旨の記述を見つけ、さらにびっくり。

最近、社内外のマーケターやリサーチャーと話をすると、「エビデンス(evidence:証拠)」という言葉をよく耳にする。話の文脈からエビデンスの意味を察すると、「自らの仮説を通すための証拠の数字を用意すること。オープンデータで数字がなければ独自に調べて用意すること。それでもできなければ近似の意味の数字で代替すること」。どうやら、このような意味でエビデンスという言葉が氾濫しているようだ。
(中略)
マーケターやリサーチャーが従来発想に固執し、生活者を自説検証のための調査対象者としてだったり、受け手として見ているだけでは、企業と生活者の意識の溝は深まるばかり。これからのマーケターやリサーチャーたちには、生活者によって自らの仮説が裏切られることを喜び、そこから再び新しい仮説が生まれることを楽しむような発想の切り替えが求められるにちがいない。
(夏山明美・南部哲浩(2009)「CtoB社会~賢くなった生活者とco-solutionの関係へ~」、『マーケティング・ジャーナル』113号、pp.28-44)

これだけの引用では全体像はよくわからないかもしれないですが、林さんの指摘と同じような内容であると感じませんか? 奇しくも、この論文の著者のお二人は、博報堂の方なのですが(アカウントプランナーではないみたいですが)。。。

このように、ほぼ時を同じくして、三者が似たような問題意識をもったということは、いまのマーケティング・リサーチにとっての、大きな課題であるということが言えそうです。
(そして、このような問題意識が強くなったからこそ、エスノグラフィーが注目されているのではないかとも思っています。)

しかし、ここで留意してほしいことも。
林さんの寄稿にもあるように、何も「テスト」調査が悪いとも、意味がないとも言っているわけではないです。この点は、十分に理解して欲しいと思います。
調査には、いくつかの目的があります。そして、いずれの目的も大切な役割を持っています。この点は、よく理解する必要があると思います。

以下の寺子屋のエントリーでも、リサーチの目的について話をしています。参考にしていただければと思います。

『定性調査がわかる本』林さんとのコラボはじめます!

このblogも、今度(2009年)の10月で開始4年目に入ります。

そこで、blogにも変化を!  ということで、『定性調査がわかる本』(→こちらで紹介しています)の著者の一人である林さんとのコラボを始めてみようと思います。
カテゴリーのひとつとして、林さんからの寄稿を掲載していきます。いまも現役で、定性調査のインタビューアをしていらっしゃる林さんの視点で、マーケティング・リサーチについての気づきを紹介してもらいます。

きっかけは、こんな感じでした。。。

(とある昼下がりの喫茶店にて・・・)

林さん:最近とくに感じるんだけど、調査会社がオリエンを受けての企画ができなくなっていると思わない? この傾向は益々酷くなってきているような気がする。[E:gawk]

owl:そうですよね。それは、感じます。

林さん:それにね、最近の調査って「証拠づくり」のための調査が多いと思わない?

owl:証拠づくり?

林さん:そう、証拠づくり。なんていうか・・・、担当者の意見を通すための調査というのかな。最初に答えありきで、その結果を出すための調査?

owl:仮説検証型の調査、ということですか?

林さん:仮説検証なら、それでもいいのよ。でも、検証でもなくて、会社で企画を通すための調査というか、最初に答えありきで、それを証明するための調査というか、要するに消費者の声は関係ないのね。[E:gawk]

owl:はいはい、「ためにする調査」ですね。結果が自分の思っている通りにでないと、調査がおかしいということになってしまうといいう。。。

林さん:他にも、よくテレビとか新聞とかのコメントで、「それってほんと?」と思うことがあったりするわけ。そんな一面的な解釈でいいの?、と思うような。

owl:わかります。一面的というか、ほんとにデータや起こっていることを、きちんと見ているの?っていいたくなることがありますよね。ひとつのイシューに対し集中豪雨的に触れるかと思えば、ステレオタイプな内容を振りまいて、あっという間に引いてしまうということが、最近目に付きますものね。

林さん:でね、そんなこんながあって、私ももっと情報発信したいなと思ったわけ。定性調査に関する真面目な情報提供の場ができないかなと。とくに企画の部分に関して、今言っておかないと誰もできなくなってしまうという危機感もあるし。テレビや新聞を見たり、本を読んでいても、こんな見方もできるんじゃない?、ということとかも話してみたいし。

owl:ぜひ、やってくださいよ。これまでの林さんの経験や知見をベースに情報発信すれば、きっと有益ですよ。

林さん:でね、寺子屋に居候させてもらえないかしら?[E:bleah]

owl:そういうことですか[E:coldsweats01]

実際は、かなりの時間、お話をさせていただいたのですが、核心部分だけ抽出すると、こんな感じで。こんなやりとりがあって、寺子屋に林さんの原稿を寄稿してもらい、紹介していこうということになりました。
テーマは、もちろんマーケティング・リサーチに関すること。最初にも書いたように、現役のプロジェクトマネージャーとして、そしてインタビューアとして、常に現場にいる林さんの気づきは、きっと皆さんの参考になると思っています。
さらに、一人では気づかなかった点を林さんにご指摘いただくことで、創発的に新たな発想が生まれる、あるいは考えがまとまっていくこともあると思いますし、これこそがコラボレーションによってもたらされる大きな効果だと思います。

これまでの寺子屋同様、ご愛顧いただければ幸いです。
(タイトルで、【Ms.H 】とあるときが、林さん寄稿の回になります。)

PS.
ということで・・・。
人様の力を借りるだけなのもどうかと思いますし、今後は個人的な負荷もだいぶ軽減されることになりそうなので、本来のこのblogの趣旨でもあった「寺子屋」も再開できればと思っています。できるだけ早い内に、再開を目指しますので、こちらもご期待ください。
(久しぶりに会話形式の文を書いていたら、懐かしくなりました・・・)