日別アーカイブ: 2007-05-10

『できない人ほど、データに頼る』

できない人ほど、データに頼る できない人ほど、データに頼る
価格:¥ 1,500(税込)
発売日:2007-04-20

「仮説って、どうやって考えるの?」という方、本書を読んでみてください。

ただ・・・
これは強調しなければいけないのですが、「できない人ほど、データに頼る」であって、「できる人は、データに頼らない」ではない、ですからね。ここのところを間違ってもらっては、困りますので。実際、この本に出てくるできる人達も、結構、調査をやっていますから。
著者は、インターブランドというコンサル会社のディレクターで、翻訳本です。原題は、“SEE、FEEL、THINK、DO~The power of instinct in business”。かなりの意訳です・・・。

まずは、もくじから。

序章 それでも、まだデータに頼るのですか?
第1章 すべては「見て、感じて、考えて、実行する」から生まれた
第2章 見る~実際に自分の目で確かめなければ何もわからない
第3章 感じる~顧客の心に共感できるか
第4章 考える~「なぜだろ?」子供のように自問しよう
第5章 実行する~直感を信じて行動に移そう
第6章 疑問を持ち続けることが成功を引き寄せる
第7章 見て、感じて、考えて、実行した勝者たち

う~ん、やはり調査否定のように感じますかね。。。
「序章」で、著者はつぎのように言っています。

本書は、調査機関やコンサルティング会社、MBA(ビジネススクール)を決して批判するものではありません。もう少し自分の本能を信じて、お客様との距離を縮めてはどうですかと呼びかけているのです。仕事だけではなく、何年にもわたる経験から得た知識と直感をもっと信じるべきです。もちろん情報に基づいて決断する必要はありますが、そこには感情も存在していなければなりません。見たいものを見ようとするのではなく、ありのままを見る。感情を排除するのではなく、感じるものを感じる。いま起きていることに対して、はっきりと焦点を当てて考える。そして、調査結果を鵜呑みにするのではなく、参考にして実行する。

ポイントは、「お客様との距離を縮める」です。そして、なぜだろうと考えることが大切なのです。ここから、仮説が生まれます。

もうひとつ間違って欲しくないのは、「経験から得た知識と直感」をもっと信じることは大切ですが、決して「見たいものを見る」ではなく、「ありのままを見る」ということです。よくあるのが、業界に長いこと居て、その分野の「プロ」になってしまっているにもかかわらず、自分の考え=お客様の考えと勘違いしてしまうことです。よくいますよね、「どうして、この味がわからないのだろう?」「どうして、こんな便利なものを使わないのだろう?」という、ある意味、傲慢な視点で語る方々が・・・。このような人達は、見たいものを見ている、自分の物差しだけですべてを解釈しているから、同じ「見る、感じる、考える」でも間違った方向に行ってしまうのです。
消費者は決してその分野のプロではない、ということを忘れてはいけないと思います。「ありのまま」を見て、感じることが大切だと思います。その上で、プロの視点からもう一度、解決策を考えていく、仮説をつくり、実行していく。
著者が伝えたかったのは、そういうことではないかと、自分なりの解釈をしています。

翻訳書にしては、文章が平易なのでわりと読みやすいと思います。ただ、事例が外国の企業なので、なじみがない場合も多く、その点が少々難ありでしょうか。。。

「仮説」ってなんだろう

Q子 うわー、ずいぶん久しぶりですね。世間では、新学期も始まり、GWも終わってますよ!

owl そうだね、まぁそのことは置いておいて。。。^^;
今日は、「仮説」について考えてみようか。P夫くん、仮説ってなんだろう?

P夫 いきなり再開して、またずいぶんばくっとした質問ですね・・・-_-
そうですね・・・、たぶんこうなんじゃないかとか、ああなんじゃないかと考えることですかね?

owl う~ん・・・。Q子さんは?

Q子 「ある現象を合理的に説明するため、仮に立てる説。実験・観察などによる検証を通じて、事実と合致すれば定説となる。」と、Yahoo!辞書の大辞泉にはあります。

owl まあ、そうなんだけどさ・・・。
たとえば、いまはボストン・レッドソックスの松坂大輔もつぎのようなことを言っていたらしい。

マウンドではいつも実験しているんだよね。仮説を立て実験し、結果を求め、それを分析し、将来つかえるかどうかを見極める。例えば実験しているものをジグソーパズルに譬えると、これまで百ピースで埋められていたものが、二百ピースになり三百ピースになる。そのコマは年々増えていく。コマが増えると埋める作業って難しくなるでしょ。それと同じように、年を追う毎に考えることが増えて、苦しみも増していくんだよね。でも、より細かいコマで埋めた方が完成したときに絵は綺麗になる。多分、この作業は引退するまで続けていくんだろうなあ・・・(『夢を見ない男・松坂大輔』)

マーケティング・リサーチって、実験みたいなものだよね。たとえば、このコンセプトで、このターゲットに、こんな商品をつくって、こんなふうに売れば、買ってくれるんじゃないか。これがまさに仮説で、調査でデータを集めて、分析して、ほんとうにそうかどうかを確かめる。まさに、松坂がマウンドでやっていることと一緒。
そして、仮説がなければ、実験も調査もできない。何を確かめればいいかわからないんだから。
よく、調査をするときに「仮説はなんだ」と言う人がいるけど、確かに「仮説なくして調査はできない」ということが、わかるんじゃない?

P夫 それはわかります。でも、調査のタイプには「実態把握型」「仮説探索型」「仮説検証型」の3つがあるって言っていたじゃないですか?(→こちら)
「仮説検証型」だといまのowlさんの説明で納得できますけど、他の2つはどうなんですか?「実態把握型」なんて、市場や顧客がどうなっているかわからないから、やるんですよね?それなのに「仮説が必要」って、おかしくないですか?

owl ほう、だいぶ勉強した?いい視点だね^^。
確かに、「わからないから調査をするんであって、仮説なんか立てようがない」って言う人もいるし、なんとなく納得してしまう。とくに「仮説探索型」の調査なんて、読んで字の如く、仮説を探すんだからね。
けど、ほんとうにそうだろうか?ほんとに、まったく仮説がない状態で、どんな調査をしようというの?ばくっとした仮説でも持っていないと、どこから手を着けたらいいかわかんないし、まったく無駄なことをしてしまうかもしれないと思わない?こういう考え方の人が調査をすると、「あなたは、どんな商品が欲しいですか」的な調査をしてしまうんだよね。わかんないんだから、直接お客さんに聞いてしまえ!ってね。

P夫 う~ん・・・。確かに、そうかもしれないですけど。。。
でも、なんかしっくりこないです。わからないことを知ろうとしているのに、「合理的に説明するための仮の説」といわれても、無理じゃないですか?

owl そう、そこだと思う。「仮説」という言葉に囚われすぎているんだよ。本来の意味は、「合理的に説明するため」のものかもしれないけど、最初にP夫くんが言っていた「こうなんじゃないか、ああなんじゃないかという考え」くらいに思っておけばいいんじゃない?

P夫 まあ、それならできないこともないと思いますけど・・・。

owl あまり納得できていない?^^;
この点について、割と明確に説明してくれている本がある。前にも紹介した『マーケティングリサーチはこう使え』なんだけどね。
この本では、仮説を、「現状仮説」と「戦略仮説」にわけて説明してくれているんだ。

このケースのように、失敗の原因がまったく掴めていない状況では、まず、その原因について仮説を立てる必要があります。この例では、厳密にいうと過去のことになりますが、こうした「事態やその原因」についての推察を「現状仮説」といいます。
この「現状仮説」があって初めて調査の企画ができるようになります。これがないと、誰に何を聞いたらよいのかわからないからです。・・・(中略)・・・
このように、実態を把握する際にも仮説が必要になるケースがあります。そして、この現状仮説を立てる際には、次の「戦略仮説」(次はどんな手を打てば上手くいくのか)の立案に結びつくような項目になっていることが大切です。
戦略立案に役立たないような現状仮説は意味がありませんし、さらに、現状仮説を持たないでやみくもにデータを集めることは時間とお金のムダを生むだけです。データを集めてから現状仮説を立てるのではなく、仮説を立ててからデータを集めるようにすることが大切です。

どう?現状仮説と戦略仮説の例も本の中では紹介してくれているから、もっと知りたかったら、本を読んでね。

さて、たとえば、調査票をつくるときのことを考えてみようか?
どうしてこの商品を選んだのか、という商品選択理由はよく調査項目になるよね?このときに、どうやって選択肢をつくるの?
やっぱり、こうじゃないか、ああじゃないかという現状についての仮説、さらにいいのは、こういう理由が多いなら、こういう手を打てるのではないかという次に繋がる仮説をもっていないと、もしかしたら、ほんとうは必要なことが聞けていないということになると思わない?そして、もっと怖いのは、ほんとうに必要なことが聞けていなくても、聞けていないということ自体に気づかない、ということなんだけどね。

Q子 でも、アンケートとかって、よく「その他」ってあるじゃないですか?あれでわかるんじゃないですか?

owl たしかに、「その他」の記述で、こちらの仮説の致命的な欠点に気づかされることもあるよ。ただ、それは「こういう視点があったのか」ということであって、その量的なボリュームは、わからないと思った方がいいから。
選択肢で示されているので、自分でも「そうだな」と気づいて○をする人もいるし、「他にもあるけど、面倒だからいいや」とその他に答えない人もいるから、選択肢の%と「その他」の%を同じ基準で比べることはできないでしょ?あらかじめ、しっかりと仮説を立てて、選択肢に入れていたら、もっと大きな数値になっている可能性があるからね。

Q子 確かに、そうですね。

P夫 でもですよ、調査の前に立てた仮説に囚われていると、本来はもっと大事なことがあるのに、逆に見逃すということはないですか?

owl 今日は粘るねぇ。でも、またまたいい視点だね。
仮説検証型の調査では限界がある、ということを言う先生もいるし、最近はやりの心脳系でもそういう視点に立っている記述が多いよね。
で・・・、私もそう思う^^;

P夫 ちょっと・・・-_-

owl 仮説検証型の調査の否定論者(といってしまっていいのかどうかですが・・・)の最右翼は、朝野先生だろうね。著書の中で、つぎのようなことを言っているよ。

かねてから朝野が指摘してきたことであるが、仮説検証型の調査は、とかく自由奔放な発想を抑えがちである。なぜなら仮説検証型の調査から得られる結論は、しょせん事前に決めた仮設がYesかNoかの範囲を出ないからである。だから、あらかじめ想定しなかったアイデアが仮説検証の調査から出てくるはずがない。したがって、画期的な事業や新しい解決策を発見しなければならないようなリサーチ課題には、仮説検証型の調査は無力であると思われる。すでに海外産業の追随期を終え、オリジナリティのある新事業を創出しなければならない21世紀の日本の市場においては、クリエイティブなリサーチの必要性は、従来以上に高くなってこよう。これまで「仮説を発見する調査」は非正統であるとして軽視されがちであったが、再評価されて然るべきであろう。(『マーケティング&リサーチ通論』)

ただね、間違ってはいけないと思うのは、ここで言っている「仮説」というのはいわゆる最初にQ子さんが言った意味での仮説で、自然科学的な合理主義のもとでの仮説だということだと思うんだ。それと、そもそもの仮説が凡庸なものであれば、いくら仮説検証を行っても、凡庸なものしか出てこないということ。いまいった仮説は、戦略仮説になるけどね。

P夫 言っている意味が・・・。

owl うん、整理をしないとね。
「仮説」といっても、自然科学で使われているような「合理的な説明をするためのもの」という厳密な意味での仮説、「AだからB」というような仮説だけだと考えなくてもいいんじゃないかということ。こうかもしれない、ああかもしれないということも仮説と捉えてもいいんじゃないか。
それと、仮説といっても「現状を説明するための仮説」と「今後どうすればうまくいくのかということを考える仮設」という2つがあるということも、大切な視点だよね。
そして、2月くらいに言っていたように、「仮説検証型」だけが調査じゃないということ。朝野先生もそのことを言っていると思うんだけど、「仮説(ここでいう仮説は、わりと厳密な意味での仮説の方)」を発見するための調査も、とても重要になってきているということ。
ただ、仮説を発見するための調査であっても、こうかもしれないというような広い意味での仮説がないと、調査設計はできない、調査をしても無駄になることも多いということ。
こんな感じで理解してくれるといいんだけど。。。
難しいよね、自分でもうまく説明できているかどうか自信がない^^;

P夫 なんとなくですけど、わかったような気がします。最後に、もうひとついいですか?
広い意味での「こうかもしれない」にしても、それを思いつくにはどうしたらいいでしょうね?
そこがわからないと、どうしようもないんですけど。自分で考えることには限界があるだろうし。。。

owl そうだね。これまで、ちょくちょく私が言っていたことがあるんだけど。それがヒントかな。

P夫 なんですか?わかる?Q子ちゃん。

Q子 現場、ですか?・・・

owl そう、現場。いくら、机の上や会議室でうなっていても、どうしようもないんじゃないかな。とにかく、売り場に行ってみる、買っている人を見てみる、買うのを止めた人を見てみる。いつ、どんな広告をしているのか、どんな販促をしているのかをみてみる。あ、ちゃんと家でね。買って欲しい人がどんな人なのか見てみる、話を聞いてみる。
なんのことはない、仮説探索型の調査をやっているようなものだけど。
ちょうどいい本があるから、つぎに紹介するね。